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いつの時代でも,人の世は暮らしにくいことが多いようだ。やれ自由だ,人権だ,人権蹂躙などの言葉である。「法律により規定された場合における自由の濫用については,責任を負わねばならない」とはフランス人権宜言11条に明記されている。精神医学の領域の事でよく人の口に上るのは,精神障害者は社会的に役立たないからこれらの人間を隔離してしまうという考えは,意図的あるいは知らず知らずの内に存在し,これにはもっとも大切な人間の基本的な自由権を何らかの形で抑圧しようとする差別的な偏見に支配されていることが多いのである。患者の持つ病的な体験,たとえば幻覚,妄想に左右されて自分は人権侵害の被害者であり,あるいは公害による被害者であるなどという主張をして,人権とか権利とか義務などという言葉を使って一般の人たちも戸惑いさせられることもある。これは別として,長い間タブーとされて来たことで精神病院の管理や直接精神医療に関係ある事であるが,平素は"見ざる,聞かざる,話さざる"をきめこんでいる人たちで,閉鎖的環境にある病院がある機会にその情況が白日下にさらされると,社会の人の目は別世界の出来事として好奇心をともなう。同時に衝撃的にしかも堰を切ったようにあふれだしたその光景に驚くことだろう。もともとすべての医療ことに精神医療と関係のある人権,医療権など認めていなかった長い間の人たちの慣習があったが,もちろんその頃は人権という用語はなかった。先駆者呉秀三は1世紀近く前からパリーのビセートル病院で精神病患者を家庭的に自由に取り扱うコロニーが始められていたことを考えて患者を家庭的に遇しようとする医師や看護者の態度が必要であることを名調子で述べた批判は忘れることができない。人権という言葉が日本語で法律的に表現されたのは,戦後日本憲法に基本的人権の不可侵をうたった時からである。そして人権という言葉を口にしなければならない場合には多くは人権侵害という事態が先行している場合であろう。ただ戦前には漠然と人権蹂躙などという場合の人権は法律用語でなく,単なる日常用語であった。現在の人権とは英(仏)語でhuman rights(droits de l'homme)と言って複数で現わしている。基本的人権は現在の状態では,具体的にまだ確立しているとはいい難いことが多く,社会情勢などの流動に伴って,単に精神障害者の人権を守ることも,なかなかむつかしいことが多い。またさらに医療権,健康権などの問題に触れると際限がなく拡大する。ここで対象を病院(公立,私立),診療所,リハビリ施設,保健所などに限定してみても,関連事項がますます多岐となってくる。1例として私立の精神病院の閉鎖性の環境内にある,いわゆる保護室の存在の意義を考えてみる。原則的には医療と管理とは両立して最大の効果をあげなければならないのは当然のことである。閉鎖か開放かという議論は過去においては,数多く行われて来たのであるしその点は将来はむしろ漸進的に外来を主とする精神医療に移行し,リハビリを含む地域精神医療への発展が望ましい。このようになれば,ボランティアも喜んで参加するようになり,人権侵害の声もなくなれば,患者の治療成果も上り,精神衛生の上からも良いと思う。話は飛躍してしまったが人間の社会は人間の和合協調の場であるとともに人権の衝突の場であると説明する法律学者の見解もある。それゆえに私たちは,人権という言葉を口にするときには,それ相応な慎重なる態度と決意が必要なのである。患者に対する人権は過誤なく擁護しつつ適正な医療を推進してゆくことである。
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