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多分それは,日本で,てんかんの国際会議が開かれた時のことだと思う。その準備委員会のひとつに,私も末席をけがしていた。この1981年世界てんかん学会の会長を務められた秋元波留夫先生が,話の中で,「てんかん精神病というのはどうなったんだろうね。」と言われたと思う。私はその時ハッとしたのを憶えている。これは,てんかんにおける精神障害はどうなっているんだろうね,という意味ではなく,「てんかん精神病」という呼称はどうなったんだろうね,ということで発言されたものだと今でも信じている。席上その話はそれ以上進展しなかったが,今でもそのことが脳裏にある。
てんかん精神病epileptische Psychoseは,確かに最近ではタイトルにも余りならないし,演題,原著などにおいても,これを掲げる人は少ない。一方,「てんかん性格」については,今や廃語に近くなった。これらをめぐる背景の足跡を辿ってみたい。都合上,先ずepileptic characterに触れる。事項を簡略にするために,Epilepsy Foundationof America(EFA)のStatistics(1975)のまとめを借りることにする。その中で,てんかんに関する社会感情の歴史は4期に分けられている。その第1期は,1900年までの時代である。この頃,てんかん者はすべて,精神遅滞を有し,てんかん性荒廃に至るもので,いわば邪悪なものの如く考えられていた。ついで第2期,これは1900年から1930年頃までの間を指す。この期間こそ,epilepticcharacterに代表される時代であった。人々は,てんかん者はユニークな際立った性格の持主であり,社会にとって困る存在と見なした。第3期に至って,しかし,やや趣きは異なった。つまり,1930年より以降は,てんかん者は本質的には正常な人達であって,もしなんらかの変異があったとしても,知能,行動の面において,一般人の間における偏異度と異なるものではないとみなされた。そして1948年以降から現在までは,精神運動発作(今の側頭葉発作)を有するてんかん者を,特別に限定しようとした時代である。このてんかん者は,一般のてんかん者と異なるし,勿論一般の人における偏異とも質を異にするものだとされた。そして,攻撃性・暴力に走りやすい傾向を持ち,側頭葉性異常による学習不全をみるというものであった。以上は,EFAのまとめた資料を収録したものである。そのあとに続く,いわばもっとも先端的現今の情勢はどうであろうか。てんかん性格が廃語に近くなったという背景には,学問的実証による推進力に負うところが大であったろう。また一方,社会心理学的側面からの,差別的偏見の是正も,一役買っていることは否定しがたい。種々の神経心理学的方法論をもってしても,てんかん者に,共通の性格傾向をうち出すことはできないといわれる。一般の脳器質障害,とりわけ,近年増加した頭部外傷後遺症などの一部にも,問題行動や,特徴的な性格変化を見ることがあり,間接的な実証とされている。臨床表現に至るところの基底が,「てんかん」という生理学的基礎のみでは説明しきれないからである。あれほどまでに確立していたかに見えるてんかん性格という臨床観察が,或る視角をいったん獲得すると,次第に色腿せたものになり,古風に響くのには,いささか或る感慨を憶えざるを得ない。「事実」はそれではどうか。確かにそのような症例は存在する。これは臨床経験として事実のように思われる。しかし,視点を異にすれば,「事実」も異なって見えてくるということは,ある事象に対する心理学的把握に通じるものといえるであろう。実際には,問題となっている「事実」が,真に解明を受けぬまま進展したための変貌かもしれないし,いわば人間の英知が,無用の論争を避けようとしていると言うこともできる。
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