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I.はじめに
1980年の神戸での日本精神神経科診療所医会(以下日精診)の第7回総会1)で,〈社会的適応〉が主要テーマとして取りあげられた。日常生活のなかで患者がいかに社会的適応していくことができるのかという問題であり,決して学問的なレベルでの対話ではなく,臨床医としてのかかわりの中での迫られたことであり,同時に医師そのものの適応のありかたを如実に示してもいる。
筆者が福岡市で外来診療所を開設したのは昭和45年であり,当時市内では外来のみの開業がなかった頃である。当初は孤独感や孤立感,馴れないための試行錯誤などがあった。しかし徐々に地域の中での一診療所としての役割に納得していくようになってきた。
ところで外来診療所が地域の中に定着できるようになったのは,昭和30年頃より精神薬物の進歩により,外来でも治療ができる状況になってからである。特に東京,大阪,神戸などでは昭和35年頃より徐々に増加してくるとともに,その診療内容も従来の精神病のみではなく,神経症や家庭内問題,不登校など幅広い対象となり,精神医学の教科書では役に立たないほどである。昭和45年後よりは大学紛争などでさらに外来診療所は増加している。ところで外来診療所の所在であるが,主に大都会の旧区内に多いようである。精神病院が都市の郊外に集中しているのに比べて診療所が地域に根づいているようである。多くの診療所の精神科医は地域精神医療の実践に積極的であると考えられる。精神科医の目的意識についても,精神科診療所の社会における価値に重点をおいている。特定の技法の施行,特定の治療をしたい。入院をさせないで外来で支えたい。プライマリ・ケアとして気軽に行ける診療所として,患者の受皿として,手作りの治療をしたいという意見が多いようだ。
さて,それでは社会的適応をどのように実現していくかということから始まる。精神科診療所ではまだ歴史が浅いだけに,精神病院が抱えている社会復帰ほどに深刻な問題は少ない。しかし日常生活のなかで直面する今日的な問題として医師が日日遭遇する患者の就職,復職結婚,勤務の評価,家庭内の危機などの現実的な課題をいかに対処していくのだろうか,といった問題が総会で討論されたが,病院とは違ったきめ細かな内容であった。患者の就職について,中井久夫氏からいろいろとこ発言があった。その中で,たとえ病者であっても,人は能力という言葉では律せられないような,鍵と鍵穴が合えば結構思いがけない力,社会的な活躍をしている,と具体的な例から適合を話されていたのが印象的であった。
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