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古典紹介
H. Lissauer—精神盲の1症例とその理論的考察—第2回
H. Lissauer: Ein Fall von Seelenblindheit nebst einem Beitrage zur Theorie derselben〔Arch. Psychiat. Nervenkrankh., 21:222-270, 1890〕
波多野 和夫
1,2
,
浜中 淑彦
3
Kazuo Hadano
1,2
,
Toshihiko Hamanaka
3
1大阪赤十字病院精神神経科
3京都大学医学部精神医学教室
1Dept. of Neuropsychiatry, Osaka Red Cross Hospital
2Abt. Neurologie der Rheinisch-Westfälischen Technischen Hochschule Aachen
3Dept. of Neuropsychiatry, Faculty of Medicine, Kyoto University
pp.319-325
発行日 1982年3月15日
Published Date 1982/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405203393
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第2部
筆者は精神盲の本質的な臨床的表現であるこの症状群を次のように説明しようと思う。即ち,視覚刺激を区別するために十分な視力によって視覚印象を得ていることが証明された患者に於いて,自分の前に置かれた対象を視覚知覚のみを以ってはその正しい名前を言うことも,その対象の性質を表現することも出来ないという現象である。精神盲のこの定義には2つの前提がある。第一に,進行麻痺の最終段階のような一般的精神的鈍麻が存在しないことである。我々の症例はそのことについて問題になることはない。視覚のみを以っては不可能であったある対象の認知が,聴覚や触覚による知覚を通じてならば可能であったという事実は明白な証明となり得る。触覚によって立体的な実物の対象を再認することは,視覚によって行うよりもはるかに注意力や,一般的に言えば知性が必要であることは特に明白である。
この定義の第二の前提は失語性障害の除外である。我々の患者の話し方は場合によってはある種の超皮質性の言語障害の疑いを喚起するかもしれない。しかし事実としてこの種の障害の痕跡すら見出し得なかった。患者は失語患者の錯語のように語をとり違えることは一度もなかった。例えば彼が眼鏡と言った時には,自分が読み書きするために何百回もかけてきたあのガラスの道具だけを考えているのである。彼がフォークを眼鏡だと言明した時は,正しい概念に対して誤った語を用いたのではなく,概念そのものが誤っていたのである。これは彼と何らかの関りを持った人なら全て疑いなく認めるところである。
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