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I.はじめに
タイ国は仏教国,微笑の国といわれ,レストランでわずかなチップを置いても,少女が美しいポーズで合掌してひざまずく国であり,また多くのすぐれたワットを持っている。しかし,わたしはこの国にどこまで真正の仏教信仰が生きつづけているのか,理解し得なかったことを前回の報告で述べた6)。今回,昭和54年11月11日から21日にわたってタイを訪ねたとき,わたしは,この疑問をすこしでも解決したいと考えていた。それは前回でもふれたさまざまなピー(霊)の跳梁するタイのシャーマニズムとアニミズムの混交の世界をどのように理解し,またこの地の「占い僧」や「僧医」(Priest-Doctor)の実態をどうみるかの問題にも関連するからであった。さいわい,このような問いの立て方は間違ってはいなかったらしく,彼地の多くの精神医学者や文化人類学者はわたしの問いに非常に真面目に答えてくれた。また帰日後,これを契機にして,日本人の手による僧修行の体験記を読むこともできた1)。
といって,彼地の人びとの答えは,必ずしも一様ではなかった。ひとりの若い女性の精神医療従事者は,「バンコクは,古い文化と新しい文化の混交した状況に在ること」,「田舎の東北地方から現代都市のバンコクにきて,女中,工員(彼女はこれらの職業を低い身分と呼ぶ)として働き,結局のところうまく適応できずに分裂病や急性錯乱の状態に陥ることが多いこと」,「精神病になってもシャーマンや呪術医や僧医のところにゆく病者が多いこと」,「仏教とキリスト教の摩擦も多くみられ,これが世代間のギャップや,文化摩擦を惹起していること」などを述べ,暗にこの国の仏教がシャーマニズムとつよく結びついて,本来の高い宗教性を失っていることを批判していた。タイの僧院でテラワーダ(小乗)仏僧としての修行生活を送った青木保氏も「タイの多くの有識者たちが,この国の仏教に呪術とか占いが併合されている事実を『近代国家タイの恥部として』隠そうとすること」を,みずからの体験をとおして想起している1)。
しかしまた,この仏教とシャーマニズムの混交のなかに,タイ特有の文化状況を見出して,これを積極的に肯定しようとする人たちも少なくなかった。たとえばひとりの精神医学者は,「僧医の呪術的医療行為が,時として現代精神医学療法よりもはるかに効を奏すること」,また「精神科医が極度に不足しているこの国においては,なおのこと僧医の存在が評価されなければならず,ここで現代医学と伝統医療のバランスを保つにあたって,小乗仏教が大きな役割を果たしていること」を強調していた。この点については,青木保氏も同意見のようであり,「近代化への憧れと土着的なものへのいつくしみと,この二つの極の間に,タイの知識人たちの心は微妙に漂っている。私もこの心の動きを肯定できる。近代性と土着性,この二つはどちらも必要なものなのだ。どちらを欠いても,人びとの生活はバランスを失ってしまう。精神と肉体のバランスを失うこと,これをタイの人びとは秘かに怖れている。科学と呪術とを両方とも活用したい。科学万能主義がもたらす人間性の荒廃についての本能的な怖れであるといってもよいであろう」と述べている1)。
さらにはシャーマニズムや占い信仰と仏教とが混交しているようにみえても,両者の背景になっている哲学とか世界観がまったく異なっており,これを見失ってはいけないことを強調する人たちも少なくなかった。たとえばさきにも紹介したDr. Sangun Suwanlertは,精神医学的次元では「憑依妄想」をもつヒステリー精神病(Dr. Sunganの診断)の患者25歳の女性がたびたびシャーマンの許に通っていること,ここで聖水による偽似的呪術療法を受けていることに関連して,このシャーマンと類似の医療を行なう僧医について「仏僧には密教的な力が隠されていること,そしてこの力は仏の慈悲から出ていること」を強調していた。
以上,タイの仏教の特徴,とくにシャーマニズムや占いとの結びつきについて,やや詳しく考察したが,以下に述べる彼地の精神疾患についての文化精神医学的記述,シャーマンや新宗教の偽似医療行為についての報告,また多くの霊や神々の憑依への信仰ないし妄想についての現象学はすべて,以上の考察との関連においてなされなければならないと思う。
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