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I.はじめに
今日,世界の各地が急激かつ一様に,高度で画一的なテクノロジー文明のインパクトを受けつつあり,ここでそれぞれ異なる伝統的固有文化との葛藤ないし摩擦を引き起こしている。この種の文化摩擦現象は,いわゆる発展途上国において著しく,一般的に言って政治経済体制を超えて,先進国側の文化輸出によって惹起されているといえる。この傾向は東南アジア諸国においても顕著に見られ,しかもここではわが国の役割が大きいと言わなければならない。このような事情のゆえに,東南アジアの現地住民が蒙っている精神医学的事象を調査する場合,われわれはこれを第三者的研究者の立場からだけ行なうわけにはゆかず,しかもここでこうした研究調査という行為そのものが,この種の深刻な文化摩擦の原因になりうることも,たえず留意していなければならない5)。
わたしは以上のことを充分に考慮に入れた上で,昭和53年11月13日から12月12日までの30日間,台北,バンコク,ジャカルタ(以上,7日ずつ),クアラルンプール,シンガポール(おのおの4日間)を歴訪し,それぞれの地の大学,病院,研究所を訪ね,とくに可能なかぎり病者との面接に参加することに努めた。幸い以上の各地において例外なく,このさいこの点については,各精神科医の快い協力を受けることができた。
さてわたしの調査研究の主題は,東ニューギニァ(今日のパプア・ニューギニア)7),奥能登,沖縄,青森県南部地方などにおける比較文化精神医学研究6)の影響もあり,つぎの2つにおのずから限定されていった。すなわち,1)東南アジァ各国の精神分裂病(以下,分裂病)の精神病理学的諸症状および発病状況の分析,2)シャーマニズムを含めた伝統的民間療法と現代精神医療との文化摩擦現象,である。わたしはいま,このように調査内容を限定したことによって,今日的文化摩擦現象を比較文化精神医学的見地から明らかにするうえでは,かえって主題を鮮明にしたと考えている。というのは,1)について言うと,分裂病発生の状況は,2つ以上の異種文化のあいだの摩擦状況と理解することができ,さらに分裂病の諸症状の精神病理は,このような摩擦状況の証言ともいえる場合が少なくなかったからであり,また 2)の問題はそのまま,伝統文化と西欧文化との摩擦現象の縮図であるとさえ思えたのである2,5)。つぎにこれらの予備調査の概略と今後の調査への展望について述べる。
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