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情動精神障害の臨床により深く関係する人が当惑を覚えるのは,今日の知見でもっても十分保証されたと思える疾患について,躁うつ病がそうである如く,われわれが原則的な点で初心のままということだ。内因精神病の領域での効果的な詳細な研究の基本的仮説は,なお解明を待っている。みた目には大変うまく組合わされたそしてまとまった精神医学各論の体系,そしてその機械的な応用を表面的に一瞥して知らされる以上に,すべてはまことに流動的である。Luxenburgerがかつて純臨床的に躁うつ病の体質圏を越えたところにある危険な明確さを口にしたのはもっともなことである。研究と考察の突風がまもなく起きるであろうフェーン訳注)の一日の晴間にこれはすぎない。情動精神病の精神病理学が,大体分裂病の問題点のような同じ興味を著者らに呼び起こさなかったのは疑いない。ちなみに始まったばかりの第3帝国の年代までの第1次世界大戦終了時代に,有意義な刊行があとをたたなかった。私は,有名になったGauppの神経学雑誌78巻(1922年)の分裂病の巻冊とハイデルベルク学派によるBumkeの全書の中の分裂病の叙述のみ思い出す。1928年の内因性および反応性情動疾患そして躁うつ病体質についてのJ. Langeの全書分担は,同じ水準に達していた。でもこの著作は大変とび離れたものではあった。大体,情動精神病を取り扱った論文の数は分裂病についやされていたそれに劣っていた。これはわれわれの専門の中央雑誌を見て判るように,その後になっても原則的に変りはしなかった。
何故に情動精神病が眩惑的な分裂病より僅かな研究しか育てあげなかったかの理由は,少なくもいく分は悲哀と陽気,抑制と興奮の心理的にたぐり寄せられない根拠のなさの確認で誰もしばしば満足したことにあったのは疑えない。発揚と抑制,収縮と拡張,生体の緊張の亢進とその減少という,いつも格別はっきり目をみはらせた生命構造の対極因子の半ば古きをたっとび,半ばは近代的なこの一切の形式は,凹面鏡を介したように情動精神病に現われているように思えたし,また循環精神病の身体的基礎のかなりの説明をここに求めているように思えた。分裂病の場合はこれとは逆で,妄想世界の奇妙な聖なるものと精神過程の新種の形式障害は,現象学的にまた発動力学的に新開拓地の研究開発をそそのかし,また脳局在論的研究からこの精神病の神秘聖讃に至るすべて仮定できるニュアンスを含めた理論仮説の勘案をそそのかした。
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