整形外科を育てた人達 第44回
Prof. Dr. Hans Spitzy(1872-1956)
天児 民和
1
1九州大学
pp.1358-1361
発行日 1986年12月25日
Published Date 1986/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408907526
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第一次世界大戦が勃発したのは1914年であったが,その8年前の1906年から4年間プロシア国内の肢体不自由児の実態調査をしたKonrad Biesalskiが1910年にその結果を発表し,身体的に障害を有する者に対する福祉行政に大きな刺激を与えた.戦争が始まると多数の負傷兵が発生するのは当然であるが,その負傷によって起る身体の障害を克服し可及的に自立せしめる必要のあることを認め,これを実現させることをKriegskrüppelfürsorgeと言って,整形外科の専門家が相談し3大都市に単なる病院ではなく,医療から社会復帰までを行う施設を建設することにした.BerlinはBiesalskiが,MünchenはFritz Lange,WienはHans Spitzyが指導することになった.この3人の中でLangeが一番先輩で,1909年に第8回ドイツ整形外科学会の会長を務め,Spitzyは開戦の前年1913年の第12回の会長,Biesalskiは戦後1921年の会長となっている.この3人は有力な整形外科医であった.
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