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I.はじめに
M. Dax(183617),186518))による「失語症は,左大脳半球の損傷で生ずる」という発見や,P. Broca(186110))による「aphémie(後のBroca失語)が第2あるいは第3前頭回の損傷で生ずる」という発見などで,失語・失行・失認の研究は開花しはじめた。
その後,失語は,Bastien(18693),18984)),Wernicke(187483)),Déjerine(189220),191421))などによって,そして,失行は,Liepmann(190055),192056))によって,19世紀初頭までには,一応の体系にまとめあげられた。失認の場合は,その臨床型によって事情は異なっているが,やはり同じ時期に,1つのまとまりをみせるようになった。失語・失行・失認に関するこれらの体系は,互いに関連して,現在,古典論として知られる1つの学説をなしている。それを一言でいうと,事物の視覚的記憶心像,聴覚的記憶心像等が蓄えられている種々の中枢や,言語の視覚心像,聴覚心像等が蓄積されている種々の中枢を大脳皮質の特定部位に想定する。そして,これら中枢は,連合線維や交連線維で結ばれており,それによって情報の伝達が行なわれているというものである。そして,このモデルで,①失語・失行・失認が一定の損傷部位で生ずることや,②失語・失行・失認がどのようなメカニズムで生ずるかを説明することを目指したものであった。
しかし,この古典論,特に失語の古典論は,その成立後間もなく,Marie(190658)),Head(192643)),K. Goldstein(192739)),らの全体論に立つ人々からの批判を受けた。そして,その後脳外科の発達に伴う脳切除や脳皮質の電気刺激など新しい方法による成果が増したにもかかわらず,古典論は,一般に批判されるのみで,古典論とこれら古典論以後の学説と知見を包括する統一的な見解に達することのない時代が続いた。Head(192643))は古典論の時代をChaos(混沌)という言葉で形容したが,Geschwind(196431))はこの言葉は,Headらの古典論批判が始まった時期以後についてこそ用いられるべきであるとさえ述べている。しかし,1960年代に入ると少し様相が変りはじめ,古典論とそれ以後の学説を止揚する兆しがみえてきた。
本稿は,100年以上の長きにわたる失語・失行・失認の研究のうち,この新しい動向のみえはじめた1960年前後から,現在に至る期間について,その一般的動向を第1部とし,失語・失行・失認の各臨床型を中心とした各論を第2部として回顧することを試みた。
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