巻頭言
自分のはいれる病院を
西丸 四方
1
1愛知医科大学精神医学教室
pp.2-3
発行日 1976年1月15日
Published Date 1976/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202425
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精神科を志してから40年になるが,いくつかの精神科の病院を見る機会があっても,自分が病気になったときに,この病院なら入院してもよいというような病院にはめったに遭遇しなかった。大都会のある贅沢な病院はよい病院で,院長は自分が病気になったらはいれるような病院を作ったといったが,経済的に誰でもはいれるというわけにはいかないようであった。ある貧しい県に公立病院ができて,そこの院長は理想家的な実行家であったが,ここには私もはいってもよいと思った。院長にうっかり,この県の貧しい農漁民がここにはいったならば吃驚してしまおう,こんな立派な病院が必要だろうかと,私のみみっちい感想を述べると,せめて病気になったときぐらいはここに入ってもらおうとの答であった。有り難い言葉である。
ある公立病院は,施設のみでなく看護職員も充分過ぎるくらいで,設立時代には活発で希望に満ちていた。しかし長年たつと患者と同じように病院もぼけてきた。廊下も空地もごみすて場のようにすさんでいるのである。おそらく病院全体のメンバーの心の中もそうであろう。努力してもいつまでもよくならない病人の群の中に長くいると,職員の心が侵蝕されるのであろうか。
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