Japanese
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来日記念講演
—Hubert Tellenbach—非言語的伝達について
Über nicht-sprachliche Kommunikation
Hubert Tellenbach
1
,
上田 宣子
2
Hubert Tellenbach
1
,
Nobuko Ueda
2
1Psychiatrische Klinik der Universität Heidelberg
2兵庫医科大学精神科
1Psychiatrische Klinik der Universität Heidelberg
2Psychiatrische Klinik der medizinischen Hochschule Hyogo
pp.1319-1323
発行日 1975年12月15日
Published Date 1975/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202410
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「人間的である」ことが最もすぐれて,且つ,包括的に表現されるのは「言葉」においてであろうか。高度な文化に精通している者は,それに関してまったく異なる判断を下すと思われる。たとえば,アンコールワット(カンボジア)の宇宙創造論的な寺院と,その浮き彫りに神話上の出来事が威圧的に充満,描出されている無限なフリーズの並びを,または美しい溝が作られた砂利の平地に,苗床のように苔に被われた岩が配置されている京都の竜安寺の石庭を一見する時,人は非言語的なものを媒介にして,人間が表現し得る力というものを認めざるを得ないであろう。確かに西洋の言語性(Sprachlichkeit)と東洋の非言語性(Nicht-sprachlichkeit)のすべての深い経験は,我々が現存在において常に単純な現象として出会うもの,すなわち言語的なものに含まれる非言語的なものや,両者の組み合わせ,および補充性を明らかにするであろう。
さて,非言語的なものはきわめて種々の様式で現れ,我々にその選択を要請する。ここで述べるのは仕草,身振り,表情などに基づく表現現象でもなく,また,感情の伝達領域でもなく,笑ったり泣いたりすることでもない。同様に人を結合させている象徴(Symbol)や,我々がSartreの天才的な現象学的分析に多くを負うている視線に関しても我々は語らないことにする。非言語的なもののうちに,2つの媒体,すなわち音楽(Musik)と雰囲気的なもの(das Atmosphärische)があるが,現代の伝達理論は,我々がここで選択したこの2つを無視し続けてきた。
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