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特集 近代日本の宗教と精神医学
うつ状態における罪業念慮について—現代の新興宗教とうつ病的罪業感との関連
Über die Versündigungsideen bei depressiven Zuständen
上田 宣子
1
,
林 三郎
1
Nobuko Ueda
1
,
Saburo Hayashi
1
1兵庫医科大学精神科
1Psychiatrische Klinik der medizinischen Hochschule Hyogo
pp.1253-1259
発行日 1976年12月15日
Published Date 1976/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202559
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I.はじめに
「宗教とは,1つの集団に共有され,そして各個人に構えの体制と献身の対象を与えるような思考と行動との組織で,この規定のような広い意味における宗教をもたなかった文化は,過去にもなかったし,また将来においてもおそらくあり得ないであろう」(E. Fromm1))。そして宗教的欲求,すなわち構えの体制と献身の対象を求める欲求を持たぬ人はいないし1),極言すれば宗教心は人にとって"1つの本能"ともいえるのではないだろうか2)。この人間の心の奥底に沈潜している宗教心は,精神医学にとってどうしても無視できない領野である。
また文化と宗教との関連性の核心を西谷3)は次のように述べている。「それぞれの文化形態は自らを極めてゆく時,一方ではそれぞれの領域内でその極まる所に宗教的なるものと結びつくと共に,他方では領域相互の間に連関をかもし出してき,この連関もまたその統一の窮極的中心を宗教に見出す。その時宗教は,すべての文化形態の帰趨する点,そこから其等が包括されてくる点と考えられ,文化は個人的一社会的な意味においての人間の所産,或いはむしろ人間的実存または人間固有の存り方の具体的現象であり,それ故かかる人間存在の窮極的中心が各々の文化形態の内に現われてくる時,その文化形態の内から何等かの形で宗教的なものが放射される」。
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