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精神医学が「内因性精神病」(“endogene Psychosen”)を問題にしはじめてからもう100年になるが,これら2つの概念はそもそも何を意味するのか。われわれはすでに一世紀にわたって「精神病」を問題にしているのに,それをどう理解するかを学問的に知ることもないというのは,奇異なことではないだろうか。ビンスワンガー(L. Binswanger)は,精神病についての学問的な諸標識にかなった規定をあたえようとこころみた最初のひとである。たしかに,かれはこの規定を行うにさいして,フッサール(E. Husserl)の超越論的〔先験的〕現象学を援用したに違いない。すなわち,フッサールは,「現実の世界は,経験が同じような構成的様式のなかでたえず進行しつづけるという確固とした前提においてのみ存在する」と述べたが,これをふまえて,ビンスワンガーは精神病というものを,経験のこうした構成的一貫性が疑わしくなり,ひいては,生の歩みをこれまでのように規範にかなつた仕方で成就することが危うくなるような現存在様式と規定した(L. Binswanger,1960)。精神病についてのこの規定は,経験の構成的様式における断裂という決定的な点を言い当てている。われわれがこれからメランコリ研を論ずる場合にも,精神病としてのメランコリー,つまりビンスワンガーの諸標識に合致するようなメランコリーを念頭においている。それゆえ,われわれは,あいまいでもあり拘束力もなくなった“Depression”という概念を,ここでは完全に放棄することにしよう。
それなら「内因性」については,どうなのか。われわれは,この概念の発展のあとをたどる余裕はないので,ここでは3つの考え方を指摘するだけにとどめたい。まず第1に,内因性とは,フランス(Magnan,Falret,Baillarger)やドイツ(Fauser,Bumke,Gaupp,Tiling,そして―まったく根本的には―Kretschmer)の精神医学にとって,病前にあらかじめ存在していた人格の不調和が尖鋭化したものであり,気質の諸類型が「それぞれの」精神病へと発展することだった。第2に初期の精神分析学,とりわけアーブラハム(Abraham,1916)にとって,内因性といえば,orale Zoneとanale Zoneが「程度に応じて変化し,幼児ではひとりひとり変動するという内因性」と結局は同じものだった。精神分析も「古典期以後」の段階,とりわけクライン(M. Klein)の場合になると,内因性とはなによりも幼児期のとりこみ過程がうまくいったか否かというふうになる。この点についてはあとでさらに言及するだろう。第3に身体論的な精神医学にとって,内因とは「潜在因性の」何か,つまり,まだ知られてはいないが,遺伝的に決定される,脳器質性の疾患過程ということになる。この立場にとっての内因性精神病とは,身体的に「まだ」基礎づけられない精神障害なのである。だから身体論者(Somatiker)は,内因性精神病の発現がまちがいなく病因的状況によって同時にひき起こされるような事実を臨床で再三経験していながら,この病気の原因を脳器質的な過程によるものと固く信じつづけている。
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