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精神病者にみられる現象を科学的に解明しようとする動きは,こんにちの精神医学の中心となつている。その結果,われわれは人間を種々の平面からみることを知り,人間の本質を現象学的にとらえるようになつた。精神医学的人間学はこうして病んだ人間の本質を探究する学問として成立し,精神病理学の把握可能性を拡大した。『うつ病者の時間性』(Nervenarzt 27,1956),『うつ病者の運動様式』(Nervenarzt 28,1957)などと研究を続けてきたH. Tellenbachは1960年に『メランコリーの形態』という論文でうつ病者の現存在にメスをくだし,この方面の主要な研究者のひとりとなつた。彼は豊富な臨床経験をもとにし,とくに,1959年Heidelberg大学を訪れたうつ病者の病後歴の検討から,メランコリーの新しい病因論を完成させた。つまり,うつ病になるのは特有の構造をもつた性格の人にあらわれること,そしてその人の存在が独自の様式で脅威を受けて,内因性であるメランコリーが始まるのだという。本書は著者Tellenbachのこうしたメランコリー研究の成果である。
メランコリーという言葉,それはヒポクラテスの「黒い胆汁」という考えから発して2000年の歳月を経ている。もちろん古代ギリシャの思想がこんにちそのまま認められるわけではない。しかしTellenbachは先賢の慧眼を見逃がさなかつた。ヒポクラテスは胆汁を生命の液と考え,血液と種々の胆汁の混合の割合による種々のタイプがあつて,メランコリー型という,いわば素質,傾向をもつた人に病が始まると,食欲不振,不眠,抑うつがおこり,彼らの感情の表出がmelancholischになると考えた。この考えはこんにち,体質と病との関連性の問題,Tellenbachのいうメランコリー型(Typus melancholicus)という発想の起源である。プラトンは人間が肉体と心の結合した存在であり,心の力が肉体より強くなると人間の存在が脅やかされ,人間は内部から病に満たされると考える。プラトンによれば病はつねに心と身体の不均衡として把握される。さらにアリストテレスは,メランコリーの要素と天才の要素が結合しているのをみて,メランコリーは神格的なものから天才(Genialitat)をのぞいたPhysisと考えた。メランコリー型の人では,抑うつ(冷たい胆汁)あるいは恍惚(熱い胆汁)という様式で自らの外へと脱線する傾向があり,この脱線は才能の過動によつておこるとされた。このときの変化は感情だけでなく人間存在の全体におこる。心と肉体の不均衡に根ざした病という古代ギリシャの理念,生命の液である胆汁が黒くなることによつて人間の本質が陰うつになるという思想,すべての精神的なものは身体的に出現し,身体的なものは精神的なものをともなうという考えかた,これらがこんにちまで引き継がれてこんにちの人間全体をみる精神医学の基本となつている。こうして古代ギリシャのメランコリーの概念をふりかえってTellenbachは,科学的な形でメランコリーの病因論を完成させたのである。彼の病因論はこの意味で先賢の慧眼を巧みに駆使しているといえる。
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