故江副勉先生を偲ぶ
35年のつきあい
島村 喜久治
1
1国立療養所東京病院
pp.759-760
発行日 1971年8月15日
Published Date 1971/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201784
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底ぬけに明るい性格であった。にくみようのない人柄であった。どういう過程であんな人格が形成されるのか,私には全くわからない。丸い,大きな目を生き生きと輝やかせ,彫りの深いえくぼをうかべて,江副君は,30年を越えて変りない表情で語りかけてきた。「光と美をあらそい,貧困と逆境とに強き女。どうだい。そんな女房を,オレはもちたい」。30年以上も前,東大のうす汚い内科講堂で,江副君は笑いかけてきた。「君の病院に入院してみて考えたよ。患者にいいものをくわせなくちゃ」。20年も前,私のところに入院して手術をうけて退院するとき,江副君は,同じ笑顔で,そういった。「猪瀬(正)も,島崎(敏樹)も,臺(弘)も大学教授になったよ。ワシは遂に大学教授になる機会を失ったよ」。10年前,江副君は全く変らない笑顔でそう笑った。頭だけはうすくなっていたが,まるで屈託のない笑顔であった。頼んでも大学教授などになりそうにもない不敵な笑顔であった。35年変りない笑顔であった。
35年前,どういうわけか,江副君と私は親友であった。共に飲み,共に遊び,共に勉強した。スキーに行って,帰ってくるとすぐ,日比谷のへんの唯物論研究会へ,三木清の講義をききに行ったことがある。スキーの陽やけが歴然としすぎていて,唯物論の講義をうけるのにふさわしくない学生ぶりだと私がためらうと,江副君は笑いとばして,ギシギシする階段を上って行った。
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