故江副勉先生を偲ぶ
追憶の記
臺 弘
1
1東京大学医学部精神医学
pp.757-758
発行日 1971年8月15日
Published Date 1971/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201783
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亡き友,江副勉君がどういう考えから精神科医の道をえらんだのか,彼は別に私に話したことはない。ただ,お互いに何となく判っていたような気がする。私達が大学を出た頃は戦争の前夜で,世の中の混沌とした有様は今の社会状況にちょっと似たところがあった。医学生は医療の現実にまだ触れないだけに,その無力さを先取りする感覚ももっていたから,近頃の言葉でいえば医療の原点に立って自分の道を歩こうとしたのではないだろうか。彼がそれをどれだけ意識化していたかは判らない。しかし彼は,学生時代に級友と一緒に,当時としては先駆的な朝鮮農村衛生調査を企てている。この精神は松沢病院での生涯を通じて生き続けていて,不幸な人々,虐げられた患者に対する彼の愛情は圧迫者に対する憤りと共に終生消えることはなかったように見える。
とはいえ,彼の明るい天性は,陰気臭くとりつかれたようなものではなく,彼に接するすべての人々に喜びと活気を与えるものだった。職場のどの層の人々からも,先輩から後輩まで,また患者の誰からも親しまれていた。彼は出て歩くことが好きだったから,私も彼と連出ってよく旅をした。学会から彼と共に森村賞をいただいたおりの新潟への旅行では,結核の病み上りの私は余り笑わされるので疲れ果てて逃げ出したほどだったし,何度かの九州への旅では,関門トンネルをくぐると途端にお国なまりに変わる彼の言葉はいつも私をほほえましたものであった。彼は自負するように誠に九州男子であった。
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