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著者は「まえがき」で「“怒れる若者たち”が集まって,主として精神病理学の分野で活発な活動を展開するに及んで,ハイデルベルクはふたたびドイツの,ひいてはヨーロッパ精神医学界に指導的な位置を占めるように」なったといわれ,続いて「新ハイデルベルク学派成立の母胎」,その「発展」そして「現況」と史的描写をしたあとで,定年間近い現主任教授の,いわばPost-Baeyerの当該学派の運命や如何と結んでおられます.一方文中で「学派といっても便宜的な総称であって」「個々の研究者が臨床に密着したかたちで,それぞれ独自の方向をたどり,これらの基底に前述のような共通の精神(すなわちspiritus heidelbergensis:著者注)がながれている」とも説明を加えています.そしてOberarztの名前をあげて紹介をこころみておられますが,二,三の印象を得たので筆をとったしだいです.
まず「ハイデルベルク学派」(Heidelberger Schule)の名称です.私はこの名前をConradの“Die beginnende Schizophrenie”(1958年)に見るにすぎません.Conradの場合,この学派に属する人としてWilmanns,Gruhle,K. Schneider,Mayer-Gross,Bürger-Prinzをあげています.そしてこの単行本では,Binswangerの道を歩めばわれわれは「詩人に変身」せねばならないと言い,JaspersについてはZuttを引用して「手のつけられた道をさらに突進む力を与えてくれなかった」と言って「第三の道」を求めて行ったわけです.ここで身をもって感ずることは,Conradの言う“Heidelberger Schule”はJaspersの「説明」と「了解」の概念を生み,そしてこれにつらなる精神病理学研究の一派であるということです.
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