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今一人,前稿でも触れたがWer—nickeの脳病理学の成立を考える上で見逃すことのできないのは,生理学者T.Fritsch (1838〜1927)と共に動物の大脳皮質実験(Arch.Anat.Physiol.,300,1870)を行って運動機能局在論を開拓したE.Hitzig (1838〜1907)である。M.Romberg (1793〜1873)に神経学を,R.Virchow (1821〜1902)に病理学を,GriesingerとWestphalに精神医学を学んだHitzigの実験が,これにつづくイギリスのFerrierの実験(1876)やCharcotの臨床=病理学的運動障害研究(1875〜78)と共に,19世紀における局在論の成立一般から見ても重要であることは言うまでもない。
ところでWernickeの神経心理学への貢献が,1874年の処女作「失語症状群」とこれをさらに発展させ,L.Lichtheim (1845〜1928)と共に完成した失語図式と分類であり,これによつて古典論的脳病理学の基礎が築かれたことは余りにも有名であるので改めて立入らないが,彼が恐らくはじめて失認概念について明確な構想を抱いたことはあまり知られていないのでここで若干触れておきたい。失認症状と思われる最初の記載として今日知られているのは,イタリアの眼科医Quaglino (1867)の臨床例(少くとも右後頭葉の損傷により相貌失認,地誌的障害を示したと推定される--詳しくは浜中・他精神医学,24;438,1982)である。C.M.Finkelnburg (1870)の失象徴Asymbolieの症例にも断片的記載がない訳ではないが,失象徴の概念自体は主として失語概念の記号論的解釈と見做し得るのに対しWer—nickeは上記の最初の失語論(1874)において既にFinkelnburgやGo—gol (1873)の記載した失語症状を「対象の視覚的〔又は聴覚的,触覚的〕記憶心像の消失,もしくは対象の概念にとつて木質的な記憶心像のどれか一つが消失すること」であり「それは失語同様,脳の巣疾患の診断を可能にするであろう限局性知性欠陥の一型」であると述べている。これはJacksonの無知覚imper—ception (1876)や,動物実験にもとづくMunk (1877〜81)の精神盲Seelenblindheitの概念に先立つものであり,1881年の脳疾患教科書ではこの見解をAsymbolie,imperce—ption,Seelenblindheitとの関連で再論している。
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