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Ⅰ.まえおき
今世紀の10年代から20年代にかけてハイデルベルク(ドイツ)の精神医学教室(Psychiatrische und Neurologische Klinik注1) der Universitat Heidelberg)にKarl Wilrnanns(1873-1945),Hans Walter Gruhle(1880-1958),Karl Jaspers(1883-1969),Kurt Schneider(1887-1967),Willy Mayer-Groβ(1889-1961)らの俊秀が集まり,新しく開拓された現象学的方法を武器として精神病理学の分野で輝かしい業績をあげ,のちに「ハイデルベルク学派」(Heidelberger Schule)とよばれたことは,よく知られている。彼らの学術的活動は30年代にはじまるナチ支配下の全体主義的体制のもとでさまざまな圧迫や禁圧をうけて鈍り,第2次世界大戦が終わって大学の自由がふたたびとりもどされた時には,上記の人だちもすでに年老いて,若々しい再出発はもはやみられなかった。
しかし,1950年代のなかばごろからWalter Ritter von Baeyer(1904-)教授のもとにBernhard Pauleikhoff(1920-),Karl Peter Kisker,Walter Brautigam,Hubertus Tellenbach(1914-),Heinz Hafner(1926-)らの「怒れる若者たち」が集まって,主として精神病理学の分野で活発な活動を展開するにおよんで,ハイデルベルクはふたたびドイツの,ひいてはヨーロッパの精神医学界に指導的な位置を占めるようになり,いくたの曲折をへながらも今日におよんでいる。
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