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I.宗教というもの
各方面からの有益なお話を承りありがたく感激にたえません。とくに稲垣氏,鈴木氏,高良氏のお説,小西氏の仏教に関するお考えをうれしく拝聴しました。私はあえて精神衛生と申しますが病約体験を宗教とするのは私のとらないところで,神懸りやトランス状態,テレパシーなどは宗教とはいえない,正常な精神を有する人のみが宗教を論じ哲学を考えるべきだというのが私の主張だからであります。もちろん原始宗教としてシャーマニズム,アニミズム,宗教的儀式としてのエクスタシー的暗示などは昔は正常の人々の行動を規制したかもしれません。また現在でも文化的背景の相違,教養の差によつてそんなものを宗教とよんでよいこともありましよう。しかしわれわれ精神科医にとつてはそんなものは僻見でなければ迷信であり,お稲荷さんやえびすさんが宗教といえるかどうか,宗教的儀式と宗教そのものとはまつたく違う。正月に1週間も休んで神に仕え,いかにも日本人はすべて伊勢の星大神宮をあがめ,吉凶を占い,日を選ぶ,これらは氏族的習慣であり,神官は儀式のみをするもので説教はしない,お寺では法を説いてくれるが個人の悩みを救つてはくれない,すなわち日本人の大多数の人々は宗教の何者であるかを理解しない,理解させようともしない。そこに国民の欲求不満があり,極端な戒律を有するもつとも権威主義の中世紀的新興宗教の勃興をうながしたことになる。すなわち日本人は無宗教人種だ,宗教はいらぬという考えは誤りで,むしろなにかよい教えがあればとびつきたい,藁でもつかむ心境にあり,それだけに危険な国民であり,まさか違えばどちらの方向にはしるかわからない。浅田氏は仏教は自主独立,キリスト教は依存的といわれたが教義それ自身はいざ知らず,現在の日本民衆または近世の歴史の物語るところでは日本人はおそろしく依存性の強い国民で西欧人はその反対であると思う(日本人の性格の研究—劣著)。この東西の国民の人格像の融和をはかることはたいせつである。
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