特集 妄想の人間学—精神病理懇話会講演ならびに討論
討論 精神病理懇話会講演をめぐつて
霜山 徳爾
1
,
宮本
,
荻野
,
阿部 正
2
,
小木
1上智大学
2慶応大学神経科
pp.41-47
発行日 1961年1月15日
Published Date 1961/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200291
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霜山徳爾(上智大学教授) 小木さんに御質問します。Minkowskiが自分の若いときのことを書いたものの中に,自分がまだ医学の勉強を始めたころ,その当時の機械論的な要素主義的な行き方とい5ものにどうしても不満でいたときに,自分が2つの著作にあつたと聞いております。その1つはBergsonの意識に直接与えられたもの,それからもう1つはMax SchelerのSympathieに関する心理学といつておりますが,SchelerはHusserlの系統ですから,もちろんHusserlの影響を受けたということになりますけれども,実際はSchelerを媒介としたのじやないのか。そうしますと,Schelerの考え方とMinkowskiの考え方の連関をもう少し見たらおもしろくはないかなという気がいたしました。
それからもう1つは,Bergsonの時間の体験をそのままMinkowskiはとつたのじやないのじやないかということであります。それは,Bergsonは客観的な時間と,生きられ,体験された時間というものを区別しますけれども,Minkowskiはむしろそういう区別はおかしいと言つているようです。つまり,この2つを止揚した考えを,Minkowskiはもつているのじやないかと思います。
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