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本書は帝京大学精神医学教室において下坂幸三氏の指導のもと11年続いた精神療法研修の記録のまとめである。討論された症例数すべてで56,その中で本書に紹介されたのは5例,いずれも女性で,正確な診断名はともかく人格障害的な病像が前面に出ている。どの症例も病歴,入院後面接の経緯,折にふれて発せられた下坂氏のコメント,さらに他の医師の発言を含めすべて逐語的に記録され,終わりに担当した研修医と下坂氏の感想が付せられている。ところでこれらの記録を読んで第一に感心したのは皆さん実に親切でていねいだということだ。これは下坂氏も同じであって,氏は決して発表者を詰問しない。非を正す場合も控え目に指摘するだけで,きわめて紳士的である。したがって氏が何を狙ったか記録からは必ずしも明らかではないが,幸い本書の巻末に下坂氏を囲んでの「下坂ゼミ11年をふり返って」と題した大変おもしろい座談会の記録が載っている。この中の下坂氏の発言がきわめて示唆的なので,以下いくつか引用してみよう。
「どうも精神療法というものはいつも入門しかないのではないかと思うのです。」「開業して1対1の面接で境界例の大軍に接した時は本当に参りました。伝染してしまって自分が境界例になってしまって……。家族面接を入れてから楽になりました。」「(精神療法は)万人ができるというふうに私は思っているのです……。精神療法が全くできないなんていうことは,人間関係を結んでいるわけですからあり得ないと思います。」「長い間精神療法を続けている上で最近の大きな味方になっているのは,道元の徹底した思索です……。何か尊敬する他者が心の中に棲みついていないと,長いことこの稼業をやっていくことは難しいと私は思っています。」「(境界例の場合),話は必ず戯曲仕立てとし,私小説風でなってはならない。」下坂氏はなお最後の「あとがき」で,患者の発言の意味を十分に聞き出すことの重要性と,氏が目指したのは「学派以前的な精神療法」であることに言及しているが,これらを含め,以上引用した下坂氏の発言すべてに対し,私は心からのエールを送りたい。
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