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診断から治療の道筋,薬剤の選択方法に至るまでマニュアライズされつつある臨床の風潮の中で,診療の『コツ』・『ワザ』の要素はすっかり顧みられなくなってしまった。それは,診療マニュアルの原則を,どんなタイミングでなら破ってもかまわないかを私たちに教えてくれるはずだった。またそれは,診断基準に書いてある項目を100%真に受けることをせず,ゆるく柔らかく利用するセンスを教えてくれるはずだった。一昔前はこの『コツ』・『ワザ』要素が,先輩の口を通じ臨床テキストの語間や余白を埋め,アナログ的というか,実践的というかそういう知恵を若手に伝授していたのである。ところが現在,医師の教育システムがきれいに整えられた代わりに,それはきれいに省かれ,教科書の語間と余白はいよいよ白々と空虚になり,新米医師は語と語,選択肢と選択肢の間をロボットのように不器用に飛び越えながら仕事をしている有様である。人間を見る仕事がかくも見事にデジタル化される日が来ようとは…と感嘆するとともにある種の危惧を感ずる古株医師も少なくはないのではなかろうか?
ここで紹介するのは取りこぼしたものを顧みようとする本である。テキストに記されるほど臨床は明解ではないことを思い出すよう著者は私たちに促している。実際に診察室で起こりがちなさまざまな事態について精神療法的な立場からていねいなアドバイスがなされている。面接の長さ,患者と医師それぞれにとっての診断と告知の意味,年代別,疾患別のアプローチ方法などが事細かくわかりやすい言葉で説明されており,精神科医としてのスキルをいっそう磨いていこうと思っている若手にとって助けになるに違いない。今すぐに読み通さなくとも,好きな章から折ごとに拾い読んで先輩から得られなくなりつつあるサポートの足しとされるといい。マニュアル通りやってうまくいかなかったとき己が力量を問う前に読んでみるといいと思う。個人的には私は『病名とインフォームド・コンセント』の部分が好きである。診断をつけることが患者に,医師と患者の関係にどのような影響をもたらすかについてふれられており,「診断にはたしかに安心作用があるとしても,同時に不安を喚起する作用があることも忘れてはならない…」(本文53頁抜粋)とある。だから診断が何であるかにかかわらず,見立てるにも治療的なやり方があるということなのである。こういうふうに見立てという行為について教えてくれる本はあまりないと思う。私たちがしている診断・告知作業が,植物や昆虫の分類ではなく,治療サポートにつなげるためのやむを得ぬ名付けであることを気づかせてくれるところがいい。アナログな視点から再度臨床を問うたとき,診断基準やアルゴリズムが生まれるより先に人がまずおり,診断基準やアルゴリズムに人が合わせなければいけない絶対的な理由などないのだというごくごく当たり前のことに私たちは気づくことができる。
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