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はじめに
2005年9月29日の夕刻,デンマーク・オーフスにてMogens Schou教授が亡くなられた。享年86歳であった。彼の長女(医師Dr. Jette Kraft)の方によって10月4日,0時30分のe-mail連絡で知らされた。9月29日朝,ポーランドでの学会から帰宅後肺炎に罹患していることがわかり,正午頃に入院して治療されたが不帰の人になられたとのことであった。こころからお悔やみを申し上げたい。
2005年4月23日に開催された第25回リチウム研究会(東京)で,「Mogens Schou教授とリチウム」と題する特別講演の機会を与えられ,その折にSchou教授自身が提供された「AUTOBIOGRAPHY-My journey with lithium-」をもとに講演したので,その内容の一部を紹介して,改めて彼の素晴らしさを偲ぶことにする。
私自身は1974年から約1年間,Denmark第二の都市にあるAarhus大学医学部精神科のRisskov精神病院でErik Strömgren教授が主宰するInstitute of Psychiatric Demographyに留学した。同病院は当時,約800床の入院施設や外来治療棟・専門治療外来棟などとともに,Schou教授が主宰する精神薬理学研究所,あるいはJohannes Nielsen助教授が指導する精神科遺伝学研究室などもあり,非常に多くの精神科医や精神医学者が国内・国外から集い競っていた。本来はStrömgren教授およびAnnalise Dupont助教授のところで,精神医学的疫学の研鑽を積むことになっていたが,隣接する建物の研究室におられたSchou教授と懇意にさせていただき日本の躁うつ病治療状況を紹介したりしており,「リチウム」が日本で市販されていないことへの懸念を度々聞かされていた。「リチウム」をカタカナででもいいから教えてほしいと言われて,下手な字で書いたらそれを自分の部屋に飾っておられたりしていたのを記憶している。Strömgren教授は1938年に「Bornholm study」という膨大な疫学知見を単著で公表しておられ,長崎でisland surveyを少しずつ進めていた私は同教授のもとで疫学研究ないし地域研究を学習したいと留学したことで,その念願が叶っていたものである。ただ,私がデンマークから帰国しようとする頃には,東京医科大学の清水宗男教授(当時)がSchou教授のもとに留学され,本来だと清水先生がSchou教授のことをより詳細に承知しておられると思う。
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