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序論
筆者はこれまで,Capgras症状を呈した患者において他者が別人に入れ換わったとされるとき,その入れ換わる当のものはいかなるものかという問題に焦点を当てた小論12,13)を発表してきた。これら小論での中核となる主張は比較的単純であり,すなわち,Capgras症状で入れ換わる当のものは,人物に付帯する属性とは無縁な「このもの性(haecceity)17)」としての〈私〉であるというものであった。これは,Capgras症状を持つ患者の中には外見,性格,役割といった人物が持つすべての属性の差異を認めないまま,にもかかわらず,その人物の同一性を否認するような患者が存在することから,そのような患者をCapgras症状の純型とみなして検討を進めることが本症状の本質規定には有効であるとの考え方に基づいていた。今回の拙稿の目的は,身近にいる他者が別人になるということが患者本人にとってどのような事態であるのかを検討することにある。そして,これはそのまま,以前の小論では検討の埒外であった,他者における〈私〉の変更が持つ患者自身における意味を検討することでもある。
ところで,上記のような以前の小論での主張は,実はこの十年余りにおける本邦での哲学上の論段で,〈私〉が持つ唯一性の問題に関する活発な議論が展開されてきたことに大きな影響を受けている。これらの議論は永井9~11)が一連の論考で発表した〈私〉論が発端となったものであるが,その〈私〉論に対してはさまざまな論者が永井に批判的に16,19),あるいは,永井に重要な部分を同調させながら3,6,8),それぞれの〈私〉論を提出してきた。各論者によって独創的な〈私〉論の展開がみられるものの,いずれの論者の〈私〉論にあっても共通している点は,そこで議論をされている〈私〉は他と交換不可能な唯一性を持ち,かつ,その〈私〉の唯一性は人物に付帯する属性とは無関係であるとする点である。
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