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はじめに
本展望のテーマが「カプグラ妄想」でも,「カプグラ症候群」でも,「妄想性人物誤認症候群」でもなく,「カプグラ症状」となっていることに,とりあえずはご留意いただきたい。
身近な人物が,そっくりの替え玉に入れ代わってしまったという妄想的確信を示す患者に対して,これを「ソジーの錯覚」(l'Illusion des Sosies)として最初に記載したのがカプグラら(Capgras et Reboul-Lachoux,1923)であったことはよく知られているが,そこで記載の対象となった患者は,当時,慢性系統性妄想病(délire systématisé chronique)と称されていた疾患において,被害的かつ誇大的な妄想状態における症状として認められたもので,この症状は一見「妄想」の枠組においてとらえられていたようにみえる。しかしながら,「錯覚」(illusion)と称されていることに端的に示されているように,実は当初からすでに,これを特異な認知障害としてとらえようとする見方が示されていたのである。
問題となる症状が妄想なのか認知障害なのかという視点は精神医学における重要な論点の一つである。実際には,妄想か認知障害か,といった対立的視点ではなく,たとえば精神病の中核症状の一つである「妄想」という病態をとらえる際に,これを神経心理学的(認知神経心理学的)障害として,あるいは行動神経学的障害として,さらには神経学的障害として,どこまで理解可能であるか,という角度からとらえられるべきであって,これは周知のように,従来から精神医学における重大な問題であり続けている課題の一つである。とりわけ最近になって,カプグラ症状はこの課題に対して現実的な接近を可能にする格好の対象であるという認識が優勢となってきており,昨今,大きな注目を集めている。
筆者らがここで,「カプグラ妄想」ではなく,あえて「カプグラ症状」として検討することにしたのはそうした背景を考慮してのことであり,また同時に筆者らは,これが独立した臨床単位という意味での「症候群」(syndrome)とは必ずしもいえず,さまざまな基礎疾患をもとに生じる「症状」(symptom)であるという見解(Hicks57),1981ら)に基本的に同意するので,Lévy-Valency(1929)以降「カプグラ症候群」(syndrome de Capgras)と呼ばれるようになった慣例に従って記載する必要がある場合以外は,「カプグラ症状」と称することにする。
1991年に西田74)は「妄想性人物誤認症候群」についての包括的な展望を行っているが,その後の十年余の動向はまさに瞠目に値するといってよい。本稿では,Christodoulou(1986)19)の同名のモノグラフが刊行されて以降の展開をたどり,カプグラ症状と他の関連症状との関係,とりわけ神経心理学的視点からみた場合のカプグラ症状と重複記憶錯誤の異同についての見解を検討し,同時に精神科的疾患と神経学的疾患の接点に位置すると考えられるカプグラ症状を通して,二つの領域にまたがっているようにみえるいくつかの病態を理解するためのいわばモデルケースとして,これを再考してみたいと思う。
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