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どの分野でもそうであろうが,いわゆる戦後生まれが一塊となって指導層を形成し始めている.内科領域も例外ではない.この私も昭和22年1月生まれでこの年代に属する.若輩と言われる程には若くはないが,さりとて上の先輩ほど熟成もしていない.困難な戦後をリードしてきた師匠に鍛えられ,団塊と一色に染め分けられながら競争という坩堝の中で育ってきた.運命的に,常に変革の先頭に立たされ続け,否応なしに21世紀への橋渡しという大きな役割を背負わされた世代である.さらに,時は,戦後民主主義の総括と負の遺産の清算が求められている.多くは印さないが,民主主義の名の下に隠蔽されてきた不公平や不能率,そして不透明が確実に存在する.ただ議論することのみに終始し,基本デザインを明らかにせず,責任の所在をぼかし続けた結果と言えるであろう.
私は,今回,機会があって日本海側の中核都市(新潟市)から,首都圏の都市(相模原市)に居を移した.それとともに,官(新潟大学)を辞し民間(北里大学)に職を得た.そのような身には実に新鮮に映ることがたくさんある.ひとつは,今さらながら官が優位になっている日本社会の基本構造である.研究分野まで官と民のあいだでは一方通行が通常である.また,首都圏に立つと如何に東京本位に体系が組まれてきたかがよく分かる.全く交通網のそれである.独自の固有文化や地方からの発信が軽視しつづけられたわけである.そして,民間といえども雁字搦めの規制の網である.本来,自由であるべき学問事も,実に身動き出来なくなっている.外的な不自由さばかりでなく,内的なものもよく発達している.大学内で日常化している会議の安売りなどはその著明な例であろう.責任と決断を回避していると揶楡されても致し方ない.とまれ!この状況を次の世紀へと持ち越すのか?
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