連載 とらうべ
次世代へ橋渡しをしたい
和田 恵子
1
1千葉看護専門学校
pp.97
発行日 1997年2月25日
Published Date 1997/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611901639
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わたしが7年間勤めた総合病院の産婦人科病棟を辞めたのは「もっといいお産を」と思っていても,病院という組織に縛られ,医師との方針の違いにぶつかり,ジレンマが募ったからです.自分自身が死産を体験したことも重なり「おめでとう」が言えなくなったのも,理由の1つでした.
その後4年間OL生活を経験.「あー,今日はいいお産だった」といったやりがいと引き換えに,夜眠れることの幸せを知り,医療職の激務さを再確認しました.OL体験での一番の収穫は,人に頭を下げることを知ったということでした.感謝されることが当たり前で,弱い立場の妊産褥婦に対して,高慢ちきであった自分に気づかされました.
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