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“分化と統合”という言葉をしばしば耳にする.しかし,これが本当に行われているのであろうか.分化は非常に容易に行われているが,統合が実際にどのくらい行われて来たであろうか.生物の進化の歴史を見ても分化に当たる事実はあっても統合に当たることはなかった.すなわち統合(エントロピーを減少させること?)は自然界には存在しないのではなかろうか.ただ人間が創作したもので,人間の意志で制御出来るものではある程度はあったかもしれない.
本誌の第1巻第1号を持っていたものの一人として感じるのであるが,当時の呼吸と循環の関係(生理学,薬理学,そして臨床において)は現在のそれと著しく異なるものであった.当時,この方面の臨床に関係する医師たるものは“呼吸を知らずして循環を語るなかれ”と言われ,そしてその逆もいわれた.私自身は当時心臓外科の臨床に携わっていたが,手術患者を対象にスパイロメトリーを担当させられていた.現在でも医学部卒業以前ならば同様のことを説いても認容されよう.しかし一度実地臨床に入り込んでみると,両者を並行して学び,身に付けて行くことは非常に困難である.そのためどちらか一方を選択し,さらに安易さも手伝ってややもすればさらにその中の狭い範囲に引きずり込まれてしまうことが多い.事実,“循環”についても,最近の各専門雑誌は心臓,脈管部門とに,さらに前者もその代謝,力学,電気生理などに区分して来ている.そしてこれに対応してそれぞれに研究会,学会ができて来ている.さらに問題となるのは,それぞれの分野で臨床から離れて基礎医学にと向って行くことである.確かに臨床での研究ではその成果が極めて明確に提示されることが少ない.それゆえにもう少し歯切れの良い発表がしてみたいと思うことも無理ではないが,citation indexが気になるという人間的な一面も作用しているかもしれない.citation index云々となれば当然,邦文ではなくて欧文で発表することを目指してくる.確かに欧文での発表でないと引用もされないし,後世に残ることもない.しかし,ここでもう一度我々はなぜ研究をするのか考えてみることが必要であろう.新しいことを発見しておけばそれは必ず人類の役に立つ.このことは間違いはない.しかし,自分の職域から著しくかけ離れた研究に没頭することに問題はなかろうか.まず自己の職域においてためになる,あるいはそれを用いて身近な社会に奉仕するための研究をまず考えるべきではなかろうか.さりとて自己の職域から遠く離れたことには関係すべきでないと言うものではない.要はいろいろのジャンルの研究それぞれに各自がどの程度の配分で力を注ぐか,それが職業人的立場からみて本当に適切であるかということにかかっているように思われる.かつて我々がわが国で初めて悪性高熱症を経験し,このことを本症が比較的多く報告されているカナダの雑誌に報告しようとしたところ,ある先輩から“まず日本の雑誌に報告し,我々の明日の臨床に役立てるべきである”と注意を受けたことがあった.この厳しい忠告は今も心に焼きついている.
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