- 有料閲覧
- 文献概要
人智が進むにつれ最近はいずれの分野においても習得することが余りにも多くなってきているが,医学ことに内科学などはその最たるものであろう。そのためにこそ近年来内科は各分科に分かれ,わが国においてもその各各の専門医が各学会から正式に制定されつつある。およそ内科学においては,ある程度の理学的・検査的諸手技を身につけた後は,生前の診断所見と剖検所見とを照合したり,コンファランスでお互いの経験を話し合い,考え方を討論したり,いろいろの成書・文献により知識を拡げることなどが修錬の最も主な道となる。私が最初渡米留学した約17年前において,毎日のように何かのコンファランスとか廻診とかやっているのを見て,何とディスカッションの好きな国民であろうかと感心したが,結局わが国もそのようになってきつつある。米国でその時無論存在していた専門医の制度がわが国でも誕生するのを見ると,今頃それを追いかけているのかと思いたくもなる。学生や若い連中が学位論文用の臨床上「役に立たない」研究など止めてしまって,専ら今述べたような修錬の毎日を送るよう要求しているばかりでなく,教育者もそのような研修ができるだけ多くやれる制度を考えている。今までの学位制度は確かに臨床医にとって無駄が多く,医術習得の時間がそれだけさかれたため大きな弊害を生んだ。しかし最近のこの蹈々たる修錬第一主義で,ことによると研究を軽視するかもしれない風潮は,一昔前にあるべき運動であって,今は再び的外れとなって害を残すかもしれないと思うのである。教育の体系は,すったもんだの闘争の果て,新しいものと考えられてやっと成立したものが実は既に古くなりつつあることがおこり勝ちであるのに,教育の内容がそれを受けた各人によって生かされるのは将来である点に大きな問題がある。
それというのも,外科系の修錬は話が違うが,上述した内科系の修錬は電子計算機の最も得意とするところだからである。習得することが余りにも多くなって人間の能力をはみ出そうとした時に登場した電子計算機は正に救いの神で,必要が発明の母となったのかもしれない。今より10年先の将来においては恐らく電子計算機が,われわれの汗水流した長い修錬をあざ笑うように,そのような習得結果より遙かに正確,便利に,診断と治療で活躍するであろう。われわれのような現在に生きる世代の者がこのような修錬を続けることは絶対に必要であろう。しかし現在学生であって,10年20年先に本当にその修錬事項を活躍させる運命にある人々が,こんな電子計算機と競争するような教育一辺倒を理想像としてよいのであろうか。高橋晄正氏は先日の内科学会において将来の電子計算機時代の医師の務めは「牧師」の如くであろうといわれた。自分の長く汗水流して習得した知識はとても電子計算機にはかなわない。そこでコンピューターの教えるところを患者に説き,これに忠実に治療し,血の通った温かい医療にする意味と考える。これは確かに重要な仕事である。もっとも正直なところ,そのような将来の医師になるためには,現在修錬をある程度怠けていても,心の温かさを磨く方がより合目的的かもしれない。
Copyright © 1968, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.