カンファレンス
ファロー四徴か純型肺動脈狹窄か
木本 誠二
1
,
杉江 三郞
1
,
三枝 正裕
1
,
角田 正彥
1
,
鍵谷 德男
1
,
和田 達雄
1
,
小林 太刀夫
2
,
伊藤 良雄
2
,
村尾 覺
2
,
志場 正光
2
,
卜部 美代志
3
1東京大學醫學部木本外科
2東京大學醫學部美甘内科
3東京大學
pp.53-59
発行日 1953年3月15日
Published Date 1953/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1404200077
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ト部 本日は皆さんにお集りを願いまして,心臟疾患症例に基いて内科側及び外科側から忌憚なく御意見を出していただき,主として診斷並に治療等に就て御討議願いたいと存じます。先づ初めに和田君ケース・プレゼンテーションをやつてくれませんか。
和田 患者は12歳の女の子で宮○といいます。家族歴には特別なことはございません。血縁者にも特別なことはありませんが,父親の甥に辨膜症があります。母親は妊娠時に特別な病氣をしたということはなく,現在の病児は聖ルカ病院でお産をしております。そのときうまれるとすぐに小児科醫から心臟が悪いといわれたそうでありますが,當時は特別認められるような變化もなく,口唇なんかも普通児のように赤くチアノーゼは認められませんでした。その後の發育も殆んど普通の子供と同じように育ち,多少動作が普通の子供より鈍いかと思つたのですが,起つのも這うのも普通の子供と大體同じ頃に出來るようになりました。ただ歩き始めのときに多少口唇にチアノーゼがあるのを認められるようになりましたが,殆んど障碍はありませんでした。3歳から4歳の頃になりますとはつきり運動時にチアノーゼが出るようになりまして,動くと多少息が苦しくなり,7歳で學校にゆきましたが,歩いて通學するのが苦しくなり,體操なども普通の子供のようにはできませんでした。
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