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昨年9月の連休の朝電話があり,石坂彰敏先生が亡くなったのを知りました.何となくうすうすは感じていたので,驚きというよりとうとう来る時が来たかという感じでした.そして最初に思ったのが,今まで辛かったろうけどご苦労様ということでしたが,すぐ本当に簡単にご苦労様と言ってよいのかという考えが頭に浮かびました.私よりも若い彼は世間的にいえば働き盛り,教授になって5年目,仕事も軌道に乗りこれからという時です.さぞやりたいことやいろいろな思いがあったに違いない.残念だったろう,悔しかったかも知れない.私にもやがてやってくるその時,自分はどういう思いでその時を迎えるのだろう.様々な思いが頭に浮かんでは去り,また考え一日を過ごした.そういえば,むかし彼から貰った手紙がありました.
1997年8月7日付のもので,石坂先生はこの年6月4日に肝臓の移植手術をドイツで受け,帰国したばかりです.手術翌日から自己清拭,ベッド上でのリハビリテーション開始,痛みに耐えながら頑張った当時の彼の姿が浮かんできます.その後しばらくして直接会う機会がありましたが,元気そうに笑顔で「いや,手術を受けて良かったです.頭がスッキリしたし,やる気が出てきました.また,お互い頑張りましょう.」と言われたのが強く印象に残っています.その後の彼の活躍はご存知の通りで,2004年には慶應義塾大学呼吸器内科教授に就任するとともに,各学会役職や雑誌編集など多くの仕事に携わってきました.日本呼吸器学会では,保険委員会委員長として患者団体とともに在宅酸素業者基準を厚労省に提出し,その後は国際委員会委員長として激務をこなしてきました.「呼吸と循環」誌の編集会議でも,常に和やかながらも厳しく三嶋理晃先生(京大)と私の3人でうまくやっていました.ずっとお酒は飲まなかったのに,福岡では遅くまで付き合ってくれ,「おいしい.さすが博多は違いますね.」と気を遣ってくれたこともありました.
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