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わが師,Dr. Basil C. Morsonの名は文献で少し知っていただけで,会ってみるまで大腸の大家であることはよく知らなかった.私がSMHに行ったころは40代の働き盛りで,始終外国や国内の学会,講演会に飛び廻っており,帰国すると仕事(主に診断を待つプレパラートの山)が待っているため機嫌が悪く,取りつくしまがない有様.秘かに“Dr. Storm”とアダ名を奉った.しかし,機嫌が良いときは,頭脳明晰で教わることが多かった.彼の代理でドイツの内視鏡学会に招ばれたときに,スライド選択と発表の仕方を徹底的に教えられたことが,その後の私の学会発表の基本になっている.発表の目的は単に自分のやったことを述べるのではなく,メッセージを伝えるのだということを初めて教わった.メッセージは内容が相手に伝わらなければ意味がないから,学会発表もそれなりの工夫が必要だということである.Morsonには“Did you get my message?”とよく問われたが,“わかったか?”という意味であると気付くにはしばらく時間がかかった.白か黒かをはっきり明言することも彼からの伝授で,灰色や玉虫色の表現に対して“Yes or no!”とよく問い直されたものである.学会における私の発言がキツイことの原点はこの辺にあるのである.
Morsonは初めは臨床家(放射線科?)になろうと思っていたが,途中から病理に転向したらしく,父親も医者,親戚の中にカットグートを創った伯父がいるという医療関係一族である.頭の回転が速く,当時,世界の消化管病理のトップの座を占めていたと言っても過言ではない.国際会議の場では,日本勢は彼の理論的な論法と英語力で一方的に押しまくられたようで,日本の病理学者にはイマイチ人気がないが,英語力を差し引いても彼の実力が一段上であったことは認めざるを得ない.その気質は明治時代のガンコ親父タイプ,といったところで,どこか私の父親に似たところがあって付き合うのにあまり苦労はしなかった.私と同室にいたイタリア人のように,肝心なときに不在というのは彼の最も嫌うところで,“He is Italian!”と幾度も腹を立てていた.彼は毛沢東の信奉者でヒッピー的であったから馬が合わないのも当然であった.Morsonがあるとき“研究はギャンブルのようなものだ”と言ったのには少々面喰ったが,“両方とも金と時間がかかり,勝たなければおもしろくない”と聞かされて得心がいった.彼は確かに研究でも多くの業績を残していて,その意味では,ギャンブルに勝ったと言えるだろう.UC(ulcerative colitis)におけるdysplasiaの概念の確立,adenoma-carcinoma sequenceの提唱,大腸Crohn病の存在などなど,大腸疾患の領域で数々の重要な足跡を残している.Dawsonとの共著「Gastrointestinal Pathology」は当時唯一のGI(gastrointestinal)の病理専門書であり,多くの初学者の指針となった.
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