医道そぞろ歩き—医学史の視点から・37
パストゥールの不屈の批判的精神
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.962-963
発行日 1998年5月10日
Published Date 1998/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402906827
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パリのパンテオンからユルム通りを進むと,パストゥールの母校,高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)がある.いまはパリ大学の一部である.ベルグソンやサルトルもここで学んだ.後にパストゥールは母校の教師に迎えられた.この学校の壁には「ここにパストゥールの研究室があつた」と刻まれ,その下に1857年から1885年にかけて彼が成し遂げた偉業が列挙されている.発酵,生物の自然発生,ブドウ酒とビールの病気,かいこの病気,ウイルスとワクチン,狂犬病の予防と,まことに驚嘆すべき業績である.しかも,これらの研究の半分は46歳のときの左半身脳軟化麻痺の後に完成したもので,不屈の精神の現れである.
パストゥールは情愛のある生真面目な人だったらしい.結婚前にパストゥールは酒石酸塩結晶の異性体を発見し,やがて発酵の研究に導かれるが,「私はいつも夕方になると,夜が短くて早く研究室に帰れればと望んでいた」と語っている.このような姿勢は結婚後35年たっても変わらず,夫人は子供に「お父さんはいつも考えにふけっています.夜明けには起きて出掛けて行きます.結婚以来ずっとそうです」と語っている.
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