医道そぞろ歩き—医学史の視点から・17
南フランスのモンペリエ医学校
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.1820-1821
発行日 1996年9月10日
Published Date 1996/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905299
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地中海に近い南フランスのモンペリエ医学校の起源は9世紀初めにさかのぼる.1220年には,この町の枢機卿がフランス最初の医学校の成立を宣言した.第二次十字軍の頃である.やがて13世紀にはボローニヤ,パドヴァ,サレルノと並ぶ医学教育の中心地であった.この頃,ノルマンディ生まれのモンデビユが解剖と外科を教えていた.モンデビユはボローニヤ大学で学んだ人であるが,その著書『外科学』の中に,「内科学と解剖学に通じない者は良い外科医にはなれない.危険を回避することができないのに危険な手術をしてはならない.予想される危険を親や友人に隠してはならない.不治の病人を手術してはならない.金持ちには十分払わせ,貧者に施せ.自慢することは慎み,人を責めてはならない」と書いている.
モンペリエ医学校はその後18世紀後半(1789年)まで司教の保護下にあり,そのため今でも医学部の本館や解剖館は教会と地続きである.しかし,モンデビユの頃の学則では,入学資格は僧職に限らず,一般人にすでに開かれていた.学生は自由に教師を選んだり変えたりできた.修学期間も最終試験も規定がなく,学生が開業に適当であると評価されると,最後についた教師から医業許可書をもらい,これに司祭の認証を受けた.修学期間が定められたのは1240年からである.修士は2年半,その他の者は3年と定められ,この間,6カ月間はモンペリエ以外の医師の下で実地修業することが定められていた.
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