医道そぞろ歩き—医学史の視点から・16
権威に挑戦したヴェサリウス
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.1628-1629
発行日 1996年8月10日
Published Date 1996/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905248
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「人体構造論』(ファブリカ)の出版の後,ヴェサリウスはガレノス批判のゆえに権威者たちに非難され,四面楚歌のただ中に身を置く羽目になった.パリ時代の師シルビウスも,師と思うな,と書いてきた.この極めて実証的な記述解剖書が西欧の医師たちに与えた衝撃が消えやらぬ翌年の1544年に,ヴェサリウスはパドヴァ大学を去り,ベルギーのシャルル5世の宮廷臨床医の道を選んだ.
ヴェサリウスは『ファブリカ』の中で,長い間欧州全域で疑問のない権威を保っていたガレノスの解剖学の誤りを指摘した.そして遠慮がちな言い回しではあったが,「ガレノスはかなり空想的である」とか,ガレノスの解剖書である「身体各部の役割について」が「空想的でないことを願う」とか,「ガレノスの無数の教義が全く信頼しがたいとは言わないが」とか,果ては「ガレノスは人体解剖をしたことがない」とさえ書いた.
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