医道そぞろ歩き—医学史の視点から・12
自由を標榜したパドヴァ大学
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.800-801
発行日 1996年4月10日
Published Date 1996/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905075
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北イタリアのパドヴァ駅に降りて,橋を渡り,広場の一角にある大学の前に立つと,ここで450年前に『人体構造論』(ファブリカ)を書いていたヴェサリウスの姿が浮かんでくる.そしてパドヴァ大学の封印に刻まれたuniversa universis patavina libertas「すべての人にパドヴァの自由」というラテン語を思い出す.パタヴィウムはパドヴァの昔の市名である.
ヴェサリウスが生まれたのは1514年である.その3年後の1517年に,パドヴァ大学は機構改革を行って,2年ごとに3人のヴェネチア市民を改革委員に任命した.当時,パドヴァはヴェネチア公国が支配していた.ルターがウィッテンベルク大学で法王への抗議「95ケ条」を掲げた年である.この改革委員会は,学生の宗教の自由や教授の教育の自由を保証した.封印はパドヴァ大学の基本姿勢の宣言とみてよい.
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