天地人
エリーゼは,いま
聖
pp.947
発行日 1982年5月10日
Published Date 1982/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402217775
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昭和20年3月10日夜,マリアナを発進した米軍爆撃機編隊は東京を襲い,下町方面は焼野原と化し,10万余の無事の民衆の命が奪われた.飛来数130機,投下爆弾1,665トン,焼夷弾20万発,私は夕日よりも激しく燃える紅蓮の炎を茫然と眺めていた.同年8月5日夜,前橋市で再び空襲を経験した.その日の午前,米軍機は空襲予告のビラを撒き,予告通り襲来した.焼夷弾は輝きを帯びて空に舞い,市街から郊外に走る道路を逃げ惑う影が機銃掃射で次ぎ次ぎと倒れる様子が猛煙の中に映し出された.顕微鏡一台と絵具箱を抱えて,私は前日造ったばかりの防空壕に潜んでいた.壕の前の土を機銃弾が抉った.戦いすんで黒色の雨が降りそそぎ,壕の壁の冷気が,命永らえた背にここちよく伝わるのを覚えながら,なぜか「エリーゼのために」を聞いたときの情景を思い出していた.
「エリーゼのために」は,音楽氾濫のいまは,幼稚園児でさえ知っていよう曲である.私が最初にこの曲を意識したのは神田の映画館であった.この映画館も3月10日の空襲で焼け失せた.映画の題名は記憶にない.召集された青年のために,婚約者がピアノを弾くのだが,その曲が「エリーゼのために」であった.心に残る旋律であった.しかし,田舎育ちの私には曲名を知る由もなかった.
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