生命輝かせて―臨床医としての真髄を求めて・3
いま ここ
有働 尚子
1
1みざき病院神経内科
pp.213-217
発行日 1999年3月15日
Published Date 1999/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688902310
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一筋の光
当直の日に偶然立ち会うことになった中年の女性患者さんの急変の一件以来,機械や補助検査に頼りがちな技術万能主義の日本の医療に対する疑問は大きくなるばかりであった.このような環境の中で本当に一人前の医者になれるのかと,臨床医として生きていく将来に不安を抱き,心ひそかに悩む日々が続いていた.そんな折,神の助けによるものか,昭和の初期よりフランス給費留学生として3回もパリ大学へ留学され,フランスから初めて我が国に小児神経内科学を紹介された吉倉範光先生に出会うことになる.
この先生は私が大学病院で小児神経の外来診察の手伝いをさせてもらうようになった時には,既に80歳を越えておられたにもかかわらず,自家用車を自分で運転され東京の街を横断しながら非常勤講師として通勤されていたほど,かくしゃくとされた先生であった.診療時間中,事ある毎に留学先のパリでの恩師であったフランス伝統的神経内科学の大家,Garcin教授の素晴らしい臨床診断学の腕前,当時のフランス神経内科学の優秀性について熱っぽく語られた.今も変わらぬ憧れの気持ちを込めて「神経内科を学ぼうと思うならばパリをおいて他にはない!」と言い切られる.
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