全国教室めぐり
「耕之不尽」—鹿児島大・第2内科
日高 実
1
1鹿大第2内科医局
pp.507
発行日 1971年4月10日
Published Date 1971/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402203585
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前身
「熱さましにゲンノショウコとオオバコ,胃腸薬はセンブリ,切り傷には地獄花,魚の骨をひっかけたらクサキの薬を乾かして飲む」
漢方医学が隆盛をきわめていた鹿児島の医学界に明治の文明開花は,ようやく民政の上で西洋医の養成を緊急の要務とした.ことに戦いで傷ついた戦士の手当てには漢方医学では手が出ず,外科手術のできる西洋医学をもってする以外には施す術がなかった.明治2年,鹿児島医学校と赤倉病院を設立し,英国人医師ウイリアム‐ウイルスを学校長兼病院長として迎えたのもこのためである.以下,現鹿児島大学医学部に至るまでの概略を列記してみる.
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