教室だより
鹿児島大学
大井 好忠
1
1鹿児島大学
pp.88-89
発行日 1967年1月20日
Published Date 1967/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200089
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西郷隆盛が野に下る時英人医師ウイリアム・ウイルスを招聘して創立した鹿児島医学校は廃校となつた。その附属病院であつた県立病院を附属病院として,昭和18年鹿児島医学専門学校が創立された。従つて教室の歴史も古くはない。岡元健一郎教授が九州帝国大学から御赴任になつたのが昭和21年である。昭和41年5月岡元健一郎教授開講二十周年記念の行事をおこなつた。
戦火に焼かれ,大火に遭い,附属病院は転々した。くわえて終戦後の混乱,窮乏の時に,御赴任された岡元教授の御苦労は筆舌につくし難いものであつたことは容易に思惟される。岡元教授の御人格と学識を慕つて入局された諸先輩とともに,日夜不断の御努力をつづけられた岡元教授のお蔭で今日の鹿児島大学泌尿器科学教室は存在する。岡元教授によつて育まれた二十年の歩みは原著256編,学会報告831編の貴重な業績となつて結晶した。
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