きのう・きよう・あした
ますらお派出夫会
島村 喜久治
1,2
1国立療養所
2東京病院
pp.1741
発行日 1966年12月10日
Published Date 1966/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402201591
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4年前沖縄の結核事情の観察を命ぜられて行つてみて,結核専門医の不足が致命的であつたので,内地から専門医を送りこむ方式を意見として具申した。そのせいかどうか,その後,国立療養所と結核予防会から6カ月交代で専門医を派遣することになり,勧誘状(などといつては叱られる。適任者を推薦されたいという公文書)がまわつてきて,全国の国立療養所や結核予防会から,もうすでに,のべて90人ほどの専門医が派遣された。いまも,結核医だけでも10名行つている。
ところが,国立療養所といえども専門医は潤沢ではない。そこでめだつのが,統合して60人も専門医がいるわが病院である。2人や3人は出せるでしようという監督官庁のお声がかりといいだしつぺの弱みと,60人を擁するわが医局のヒューマニズムとで,半年ごとに東京病院から最低2人ずつ,多いときは5人も沖縄へ出張しはじめた。
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