連載 Festina lente
多忙自慢
佐藤 裕史
1
1慶應義塾大学医学部クリニカルリサーチセンター
pp.1841
発行日 2011年10月10日
Published Date 2011/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402105434
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古今亭志ん生の自伝『びんぼう自慢』は,高座の語り口そのままに――といっても私は録音でしか知らないが――赤貧洗うがごとき苦労や放浪を,飄々と,ときに粋にときに切なく描く.「破天荒な才人」「宵越しの金を持たぬ粋人」が何れも死語となった今,貧しさは「誰のせいだ」と青筋を立てて糾弾すべき対象でしかない.健康保険も生活保護もなく,人身売買が横行し,貧困下で結核死が山と出ていた時代のほうが「貧乏はするもんじゃありません.味わうものですな」と心優しく語られたのは,酸いも甘いも噛み分けた志ん生の人柄と芸の極みか,単なる懐古的諦念か.もっとも「びんぼう」は今日放送禁止用語らしい.『巨人の星』で星飛雄馬が父一徹に抗弁する場面の再放送では,「うちが○○人だからって……」と,そこだけ音が消されていた.
今や自慢の対象は「びんぼう」でなく「多忙」だろう.「最近いかがですか」「いやあ,忙しくて」という会話を一日に何人が口にすることか.「お忙しいところわざわざお運びいただいて」とは無意味な儀礼的枕詞に過ぎないが,そこには媚びへつらいの欺瞞も混じるし,「忙しくないような奴は駄目だ」「暇は怠慢と無能の証拠」という圧力すら感じられる.「今日の外来には60人来た」「何だそのくらい,俺のところなんて100人は下らないぞ」「いやうちは多いと150人だ」と外来患者の多さをいう医師たちは,ぼやきと慨嘆に加えて,「自分はこれだけ忙しく診察しているのにお前は何だ」という非難や「水揚げ」の自慢もないとはいえまい.
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