特集 地域保健元年
地域保健の理想像を求めて
岩永 俊博
1
1国立公衆衛生院疫学部感染症室
pp.12-16
発行日 1997年1月15日
Published Date 1997/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401901621
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日々の活動の疑問からの出発
昭和51年4月,技師として保健所に勤務したとき,まず感じたことは,何をすることが保健所の医師の役割かということであった.「健診です.お願いします」といわれれば白衣を羽織って会場へ行き,「貧血教室で話をしてください」といわれれば,種本片手に受講者の前に.仕事らしいことは日々こなされていくのだが,公衆衛生とはこういうものなのかという気持ちが付いて回る.保健婦や栄養士,検査技師や放射線技師なども,それぞれに自分たちのやっていることはこれでいいのだろうかという疑問を感じているということがその人たちと話してみてわかる.最初の年は,いろいろな職種の人たちと話をした.自分たちが保健活動としてやろうとしていることが何なのかよくわからなかったのである.
昭和55年夏,初めて所長として赴任した小さな保健所では,予算の裏付けもあって,保健所の仕事の見直しをすることができた.そこで,若手職員を中心に,データや事業を見直してみた.結果の報告書1)が出て,いくつかの事業が改善された.しかし,それですっきりしたかというと,どうも引っ掛かる.日々の仕事に追われる毎日.住民に健診や教室など事業に参加するように呼びかける日々.事業に参加してもしなくても,健康教育の形を変えてみても,病気になっていく人たち.そのような疑問を持っていたわれわれが,「本来保健所の仕事って何だろう」ということから考えはじめたのは昭和60年のことであった.
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