活動レポート 長崎県琴海町の保健福祉計画の策定とケアマネジメントの展開・1
保健福祉計画の策定に至るまでの経緯
森 俊介
1
1国民健康保険琴海町立病院
pp.425-427
発行日 1996年6月15日
Published Date 1996/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401901502
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対馬時代のエピソードから
「総胆管結石の手術後,ヤス婆さんは西病棟(老人病棟)の主になった.足がなえてほとんど歩けなかったが,口だけは達者だ.自宅にいた時は,近所の人が食事,洗濯,入浴などの面倒をみてくれたので,なんとか生きていけた.しかし,手術後,集落は彼女が帰ってくることを拒んだ.その集落の世話人さんは,“婆さんは,もともとよそ者だ.たまたまうちの部落に流れて来たので,今まで面倒をみてきたが,町と病院にお渡しした以土,もう縁を切りたい.第一根性が悪い.何をしてあげても,ありがとうといってくれたためしがない”と頑なだ.京都にいるという息子からは“もう40年以上,会っていない親を引き取り,同居してやっていく自信がない”とそっけない返事が返ってきた.本人は“死んでもよいから自宅に帰る”と言い張った.」
「病院が福祉事務所,保健所,社会福祉協議会,役場に呼び掛け5者協議会を結成した.早い話が“だれが飯をつくるか”を決めるための会議である.週のうち3回を社会福祉協議会のヘルパーさん,残りの4日をそれぞれが担当した.私も週に1回行くことにした.手術が終わって,5時頃から車で1時間ほどの距離にある集落まで出掛けた.ご飯とみそ汁を温め,おかずを見繕い,一緒に食べた.こんなことが3カ月ほど続いた頃,部落の人が,一人,二人とこのサポートの輪の中に復帰してくれた.4カ月目には,ほぼ私たちは手を引きヘルパーさんの派遣だけで済むようになった.」
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