特集 眼の健康とQOL
白内障の現状と対策
佐々木 洋
1
1金沢医科大学眼科学講座
pp.372-381
発行日 2017年5月15日
Published Date 2017/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401208660
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白内障の歴史
ヒンズー医学において,白内障は眼内の液状物質の変性によるものと考えられていた.液状物質はラテン語でsuffusio(血性浸潤),それがアラブ語で大滝と翻訳され,再度ラテン語に訳されcataractとなったのが語源の由来とされている1).
白内障手術は紀元前3000年頃インドでCouching法(白内障墜下法)が行われたという記録がある2)3).針で水晶体を硝子体中に落とし,瞳孔領を透明にすることで視力回復を得るという方法である.その後19世紀半ばまで,このCouching法が白内障手術の主な治療法として広く行われていた.日本では室町時代の初期,1350〜1360年頃からCouching法は“針立て”として行われるようになった.Couching法で対応できない症例も多く,水晶体囊を針で切開する切囊術,濁った水晶体を吸引除去する吸引法なども行われた.角膜を切開し,水晶体を眼外に摘出する囊外摘出を1752年に初めて行ったのが,Jacques Davielである.これは画期的な進歩であり,角膜下方を切開し,そこから混濁水晶体を指で圧出して摘出した.しばらくはCouching法も行われていたが,刀や切囊針の改良に伴い,本法が白内障手術の主流となった.1750年代には水晶体を囊ごと全摘出する水晶体囊内摘出術も始まった.摘出の手法により,圧迫法,鑷子法,輪匙法,吸着法,電気凝固法,冷凍凝固法などがある.Joaquín Barraquerによりチン小帯を切断するα-キモトリプシンが導入され,本法は安全に行える手術となった.
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