特集 死因究明制度の現状と将来展望
日本の監察医制度の歩みと課題
松本 博志
1
1大阪府監察医事務所
pp.305-310
発行日 2015年5月15日
Published Date 2015/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401208176
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
監察医制度の発足
日本の監察医制度は今年で70年目を迎えた.公式的な始まりは,1946(昭和21)年12月11日にGHQ(General Headquarters,連合国軍最高司令官総司令部)の公衆衛生福祉局長から日本政府厚生省(現厚生労働省)医務局長に対して,全国の主要都市に監察医局を設置する覚書を送達し,各主要都市に監察医を任命,常置するよう指令を出したことに始まる1,2).
しかしながら,実務上はそれ以前に始まっている.東京都については,『東京都監察医務院50年史』によると,1945年11月18日付の朝日新聞に掲載された「始まっている『死の行進』餓死はすでに全国の街に」という記事から,GHQが朝日新聞社に対して実情調査を行ったことに端を発しているようである.その結果,11月23日以後は,飢餓,伝染病,栄養失調などによる死亡者に対して,GHQ厚生課員立会いの下で死体解剖を行って厳密な調査を実施すべき旨を東京都民生局に指令したとのことで,その後,東京都は「東京都変死者等死因調査規程」を制定し,東京大学および慶應義塾大学の法医学,病理学の両教室員に委嘱して,監察医務業務を1946年4月1日から開始した.東京都監察医務院が開設されたのは1948年3月21日であり,以前の大学委嘱は廃止され,専任監察医を3人おいて業務を開始した.
Copyright © 2015, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.