対談・連載
公衆衛生の軌跡とベクトル(7)—1980年代に入って
橋本 正己
1
,
大谷 藤郎
2
1元埼玉県立衛生短期大学
2厚生省社会保険審査会
pp.330-336
発行日 1988年5月15日
Published Date 1988/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207686
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第二臨調と老人保健法の成立
大谷 1980年代に入って第一にあげられるのは,鈴木総理の時代の第2次臨時行政制度調査会の進行でしょう.これはオイルショック以降の税収の減少を国債の発行で穴埋めしてきたツケを,政府の財政支出の縮小によって切り抜けようということで始まったわけです.
国鉄の民営化に始まり,医療間題についても,「医療費の適正化」という表現で医療費抑制策が大きな柱となりました,この過程で老人保健法が昭和57年に成立しますが,この中の一つの大きい柱であるヘルス事業,これは昭和50年の厚生省の高木事務次官のプロジェクトが老人医療費を審議する中でヘルス事業を入れようという考えに端を発したものです.
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