対談・連載
公衆衛生の軌跡とベクトル(1)—戦後公衆衛生の出発
橋本 正己
1
,
大谷 藤郎
2
1元埼玉県立衛生短期大学
2厚生省社会保険審査会
pp.631-639
発行日 1987年9月15日
Published Date 1987/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207537
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戦中・戦後の混乱を通して
大谷 戦後と言えば,私はまだ京都大学医学部の学生でした上に,昭和23年に結核に罹り,入院と田舎での療養生活でしたので,昭和20年代前半の公衆衛生に関しては学生として,しかも後には病人の目でしか見ていません.
大学を昭和27年に卒業し,公衆衛生に入ることになったのですが,そのころの保健所は結核に大きくかかわっていて,結核患者である自分自身の問題を扱っていたこと,体に自信がなくて同病の人の相談やデスクワークならできるだろうということから入ったので,あまり公衆衛生の正統派とはいえません.しかし,その分だけ失業で収入のない結核のような慢性患者の医療費や生活費をだれがどうするのかについては,自分自身にもかかわって強い関心を持っていました.先生は,戦争中には軍隊へとられていたわけでしょう.
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