特集 公害とその後
地球規模の環境破壊と自然環境の保全
三浦 豊彦
1
Toyohiko MIURA
1
1労働科学研究所
pp.508-511
発行日 1987年8月15日
Published Date 1987/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207511
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■夏目漱石とロンドンの大気汚染
イギリス留学中の漱石は,「倫敦ノ町ヲ散歩シテ試ミニ啖ヲ吐キテ見ヨ.真黒ナル塊リノ出ルニ驚クベシ.何百万ノ市民ハ此煤烟ト此塵埃ヲ吸収シテ毎日彼等ノ肺臓ヲ染メツゝアルナリ」と書いている.明治34年(1901)のことである.20世紀のはじめに当たる.しかし,漱石はこんな汚染空気を吸っているのにイギリス人の顔色があれほど美しいのは,大気の汚染によって,太陽光線が弱められるからにちがいない,日本のように強い太陽光線によって,彼らの肌がやかれないからと考えたようである.
1700年のGreat Britainの人口は600万から700万人の間で,当時1人当たり1年に0.5トンの石炭産出にすぎなかった.1世紀たった1800年の人口は1,000万人から1,100万人の間で,この時期の1年間の石炭産出量は1,000万トンから1,500万トンの間になっていたというから,1人当たり約1トンということになる.それ以後,人口も石炭産出量も急増し,1900年のGreat Britainの人口は3,700万人で,これに対して1年間の石炭産出量は22,000万トンとなり,1人当たりでみると年約6トンにも増加していたのである.
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